古い食器を定期的に捨てたらキッチンが広くなった

日本にはどれだけ使われていない食器があるのだろう。実家に住みながら、少しずつ実家にあるモノを整理しているのだが、燃やせないゴミとの戦いで四苦八苦している。



食器は溜まるべくして溜まった


食器の通販

昔、毎月1回、食器を届けてくれる通販があった。チラシやカタログには10回分の商品がすべて載っていて、使う使わないは別にして魅力的に映っている。なおかつ10回分を契約するとオマケの食器がついてくるというやつだ。今でもあるのだろうか。

食器セットの罠

生活に少しゆとりが出てきたころに母親がこの食器セットの罠に嵌ったことがある。そして老夫婦二人暮らしになって、今度は和食器を通販で購入したらしい。その食器がキッチンだけでなく納戸からも出てきた。届いたままの包装のものもあった。

食器棚も増える

食器が届いて楽しいうちは、きれいに並べ、時おり使うこともあった。普段使いの食器は別にあるので、来客用か、年中行事の時に使っていたと思う。食器を並べるには食器棚がいる。キッチンボード、カップボード、サイドボードが複数ある。この中に食器を重ねてしまっていたのだ。




過去に遡って場所と時間を整理する


モノは場所を取る

食器が増えると保管場所、収納場所が必要になる。最初はきれいに並べていたものが、食器が増えるにつれて上下に重ね、前後に置くようになる。奥に置かれたもの、積み重ねて下になったものは使われることはなくなる。モノが増えれば場所を取るというのは当たり前なのだが。

モノは時間を取る

もし日常で使っている食器ならば、それほど日を空けずに洗ったり手入れをするだろう。ところが、必要以上に多い食器は洗われることもなく、手入れされることもない。モノは場所だけでなく、手入れという時間も取るのだ。使われない食器は、時間という倉庫に押しやられたも同じだ。

場所と時間を整理する

実家の整理は、単にモノの整理ではない。時間と場所の整理なのである。使わないモノは捨てるだけである。特に実家にあるような大量生産の食器の商品価値は低い。捨てるのが場所と時間の整理になる。最初はそう思っていた。


もったいないという気持ちは儀式で


食器は重いのだ

食器をまとめて捨てようと思うと、けっこうな重さになる。回収用のゴミ袋も小さいものに小分けしなければならない。今は小さめの段ボールに詰め、重ねて燃やせないゴミの日まで待機させている。ゴミの日当日に袋に入れて出している。

食器を捨てる儀式

食器を捨てるときに「儀式」をしている。5枚セットならその1枚を取り出し、最後の晩餐よろしく夕食時に使うのである。これで気持ちが吹っ切れるのである。どこか「もったいない」という気持ちがあるのだ。その気持ちが吹っ切れるのである。馬鹿げているが、洗ってから捨てる。

最後の最後に捨てる

納戸から出てきた食器は、盆と正月にしか使わないよう大皿や装飾が施された食器である。さすがに儀式はできないので、最後の最後に捨てようと思っている。買ったまま包装されたままの食器も一応確認する。見なかったことにしたいが、儀式をして捨てる。あともう少しになった。




◆◆◆◆◆

昔は、外食することも少なく、家で客を接待することが多かった。親戚が多かったせいもあり、一堂に集まった時の食器が用意されているのが当たり前だったのだろう。今となっては「無駄」と切り捨てることになるが、そのように振る舞うことが生活が向上していることの証だったのだろう。

これからはモノに執着することもなくなっていくと思う。必要な時に必要なモノがあれば時間も場所も必要なくなる。モノへの執着心がだんだんと薄れていく時代になる。その一方で未だに食材の廃棄や未使用品の廃棄が行われている。日本に限らず、先進国と呼ばれる国では似たり寄ったりなのだろう。

食器に関して言えば、多からず少なからずが良い。食器が古くなったら定期的に捨てた方が良い。場所と時間と節約になる。実家のキッチンは広くなった。ただ行き場を失ったが食器棚があるだけだ。