シンプルライフは持つことから始める #4 足るを知るで終わらない

老子 第三十三章

「足るを知る」という言葉をどのように考えているでしょうか。「足るを知る=知足」は「老子 第三十三章」のほんの一部です。前後があるんですね。

知人者智 自知者明  人を知る者は智、自ら知る者は明(めい)なり
勝人者有力 自勝者強 人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し
知足者富 強行者有志 足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り
不失其所者久     その所を失わざる者は久し
死而不亡者壽     死して而(しか)も亡びざる者は寿(いのちなが)し



解釈する人によって意味が変わる


裕福を重んじる人にとっては

裕福を旨とする人にとっては「足るを知る者は富み」という部分を「満足をすることが裕福である」と考えれば、満足するまで求めることになりますし、「満足すれば裕福である」と考えれば求めすぎてはいけない、ということになります。後者の意味で解釈している人が多いのではないでしょうか。

権力を重んじる人にとっては

権力を旨とする人にとっては「足るを知る」だけを切り取り、「身分相応に満足することを知る」という意味として流布することで、自分の権力を安泰に保とうと考えることもできます。この解釈のポイントは「身分相応」という部分で、身分をわきまえろという意味で使われたのでしょう。

道徳を重んじる人にとっては

道徳を旨とする人にとっては「足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り」までを含めて解釈することで、多くを求めずに努力することが人間的に豊かなことだと考えることができます。質素、倹約、清貧など古くから道徳的に良いことだと考えられていたことに通じます。

シンプルライフとしては

シンプルライフで「足るを知る」とは、何を足ると考えるか、足るとは満足感を得るということか、知るとは欲を抑えることなのかと考えを巡らせてしまいます。量的満足なのか、質的満足なのか、心理的満足なのかということも気になります。少なくとも我欲多欲ではないとは思いますが。




シンプルライフの足るを知る


モノのシンプルライフ

モノには常に量と質の二面性があります。量的に「足るを知る」の最たるものは金銭的な尺度でしょう。質的な「足るを知る」は個人差があります。シンプルライフでは質的な「足るを知る」を優先させることになりますが、そのためには自分の満足ラインを知る、自分を知ることが必要になります。

コトのシンプルライフ

コトについても量と質の二面性がありますが、例えば練習量のように量を多くすることで質も高まることもあります。その反面、量を多くしても質が高まらないときは途中で立ち止まることも必要です。コトについてもモノと同じく自分の満足ラインを知る、自分を知るということが必要になります。

ヒトのシンプルライフ

ヒトとは自分自身と対人関係を意味しますが、対人関係をシンプルライフ的に考えると広く浅く対人関係を持つより、狭く深く対人関係を持つというように考えがちです。私自身は対人関係において常に色分けをするようにしています。浅い対人関係と深い対人関係を分けるラインを設けています。

ココロのシンプルライフ

ココロ(心)のシンプルライフとは「足る=満足感」と考えた時に、「知る」をどう考えるかということになります。満足感を得た後は、それ以上は求めてはいけないのでは現状維持を促していることになります。これでは人間的な成長もなくなってしまうのではないでしょうか。




自分らしく、自分らしく


「シンプルライフ」とは「考え方」です。すなわち心の持ち方です。老子の言葉の最初に「知人者智 自知者明(他人を知る者は賢く、自分を知る者はさらに賢い)」と書かれているように、「足るを知る」というのは「自分を知る」ということの一例に過ぎないと思います。

「シンプルライフ」においても「自分を知る、自分の満足ラインを知る」ということが最も大切なことだと思います。50代60代になって自分の満足ラインは知っているでしょうか。満足ラインに達していなければ努力しているでしょうか。「強(つと)めて行なう者は志有り」でしょうか。

50代60代のシンプルライフでは「足るを知る」は「自分を知る」ことであり、自分とは「自分に備わっている心身」だと考えることができます。モノやコト、ヒトではなくココロ(心)ではないかと思います。 心が豊かになるシンプルライフを愛することが本当の「足るを知る」という意味ではないでしょうか。